今回もまた文面か音声にて
お楽しみくだされ

動画付き音声は一番下にござります(音声メインです)


ー10年前ー

それは、雪のちらつく寒き日のことでござった。


小さき娘・澄音孤児であり教会に引き取られておったが、
村の子らに「南蛮人」と
蔑(さげす)まれ、追われる
まま山の中へと逃げ込んだのでござる。

「ひっ……来ないで、来ないで……!」

幾度も転び、服は泥にまみれ、
手足は冷えきっていた。

だが、誰も助けてはくれぬ。
叫べども届かず、木々の間を
さまよううち、道に迷い、
陽はとうに落ちておった。

歩けど歩けど、どこにも
光は見えず
雪がちらほらと降り始める。

しんと静まる山の中、澄音は
力尽き、その場にうずくまり
ついには倒れてしまう。

「……さむい……おかあさん……」

遠のく意識のなか、澄音は小さくつぶやき、
目を閉じた――。


次に瞳を開けたとき
あたりはほんのりと橙の光に包まれておった。

ぱち、ぱち、と焚き火の音。

体には、あたたかい藁がかけられ、
頬に血の気が戻るのが分かる。

火のそばには、ひとりの少年が
串に刺した魚を焼いておった。

髪は野晒(のざら)しのように
乱れ、目つきは鋭いが、
どこか寂しげな顔立ちの少年であった。

「……あなた、誰……?」

震える声に、少年が顔をあげた。

「お、起きたか。おれは鷹丸(たかまる)ってんだ」

「……たかまる?」

「おまえ、雪ん中で寝てたんだぞ。
冷たくなってたから
藁で包んでやったぞ」

そう言って、少年は湯気の立つ
椀を差し出した。

「ほら、白湯だ。冷えたろ
飲めよ。魚も、もうすぐ焼ける」

澄音はおそるおそる椀を両手で
受け取ると、じんわりと手の
ひらが温もりを取り戻していく。

ごくりと飲んだ瞬間
こらえていたものが崩れ落ちた。

白湯が喉を通るたび、胸の奥に
しまっていた冷たい石が
ゆっくりと溶けていくようだった

「……うっ、ううっ……」

ぽたぽたと涙が頬をつたう。

慌てる鷹丸に、澄音は言葉に
ならぬまま、ただ泣いた。

孤児として育ち、優しさを
知らず、誰も自分を助けて
くれなかった世界で――

この椀の温かさに、初めて
「生きていたい」と思ったのじゃ。

白湯を一息に飲み干し
ようやく心を落ち着けた娘
胸の奥にほのかな温もりが灯り
そっと口をひらいた。

「わたしは、澄音です……
麓の教会に住んでおります」

それを聞いた鷹丸は、自らの
椀にも湯を注ぎ入れ
ぐいと飲み干してみせると

「そうか、澄音。――これ
食えよ。うまいぜ」と、
焼けた魚を差し出した。

「……あ、ありがとう」
娘の衣は泥にまみれ、足は
擦り傷だらけ。いかにも
何者かに追われ
逃げに逃れてきたものと見える。

されど鷹丸は、なにひとつ
問いただすことなく

黙って魚を割り、己の分を
差し出すばかり。

火のはぜる音と、風のうなる
音の合間に、ぽつぽつと話が
咲く。気づけば澄音の頬にも
ようやく柔らかな笑みが戻っておった。

「鷹丸は、ここでひとりで
暮らしているの?」

「ああ。おれは、ずっとここに
いる。ばあちゃんがいたけどな
もういなくなっちまった」

「そう……なんだね」

鷹丸は、竹筒からもう一度湯を
つぎ、火の加減を見やると

「澄音、あした教会まで送ってやる。――この山には、もう入るな。獣が出るからな」と告げた。

「……あなたは、平気なの?」

「おれは強ぇからな」

「ふふふ……」

「な、なんだよ」

「……今日はありがとう、鷹丸」

「おう」

しばし沈黙が訪れたが、澄音は
ふいに、小さく尋ねた。

「また、会えるかな?」

鷹丸は、焚き火の明かりを
受けて笑みを浮かべた。

「もちろんだ。おれが迎えに行ってやるからな。……約束だぞ」

「うん。約束」

こうして二匹、肩を寄せ
焚き火の傍らで身を横たえ
いつしか静かな眠りに包まれた。

寒き夜に芽生えし
ふたつの温もり。

この出逢いこそが、後の数奇な
運命の、始まりにござった――。

教会へ戻った澄音を迎えたのは
怒りに燃えた顔のお清どのであった。

「澄音! どこへ行っていたのですか!」

声に震えを宿し
睨み据えるその様は、
慈母(じぼと)というより鬼のごとし。

澄音は肩を竦め
うつむきながら応える。

「……すみません。山で
迷ってしまいました」

「山? まさか、あの山に
――入ったのですか?」

「……はい」

その一言に、お清の顔が蒼ざめ
目を見開いて立ち尽くした。

「あの山に入るなと、
何度申したことか……!
あそこには、獣が出ると
村の古老からも言われておるのですよ」
「……でも、私は何度も入っております」

実のところ澄音は
いじめっ子らに追われては
幾度もあの山へ逃げこんでいた。

奴らもまた、噂を恐れて
その山には近づかぬ
――“猫を喰らう獣が棲んでいる”と

まことしやかに囁かれる
忌(い)み山であった。

「まあっ……! なんということか……!」

お清は深いため息をつき
厳しく言い放つ。

「二度と、あのような山に
足を踏み入れてはなりません! よろしいですね!」

「……はい」

しおらしくうなずく澄音を見て
お清はなおも口をひらく。

「それから……明日より
神父様の布教活動を
お手伝いなさいます。
しばらくは
この教会を離れることに
なりますので、支度をしておきなさい」

「……分かりました」

澄音はうなずきつつも
胸のうちで思うておった。

――「帰ってきたら
また鷹丸に会いに行こう」と。

けれど……日が過ぎ三日、四日と
経つうち、澄音の胸からは
いつしか鷹丸の記憶が薄れてゆきやがて――消えてしまった。

……しかし、ただひとつ。
何か、
大切なものを忘れているような
どうしても思い出せぬ何かが
胸の奥を締めつけていた。

そのころ、山の木の上より、
そっと少女を見守る者が一人
鋭き眼をした
少年――鷹丸であった。

「……澄音」

その唇がつぶやいた名は、
遠く凪ぐ風に静かに消えてゆくのであった。

鷹丸という少年、化け猫の
血を引く者――“妖混じり”
にてあった。

その容貌は化け猫の子供、
夜目はきき、風の声も草の
囁きも聴こえる。

ゆえに村猫らからは恐れられ
忌み嫌われ、山の奥へと
追いやられて久しゅうなっていた。

されど鷹丸は、誰かを呪うでもなく、恨むでもなく
ただ静かに山で暮らしていた。

――そんなある日のこと。
まだ幼き澄音が
いじめっ子らに追われて
泣きながら山へ逃げこんできた。

その姿を、鷹丸は木の上から
見下ろしていた。

はじめはただ、珍しい子が
来たものだと思うた。
けれど、涙で顔を濡らし、

震える澄音を見ていると
不思議と胸の奥がちりちりと
痛んだのじゃ。

それからというもの、澄音が
山に来るたび、鷹丸は木陰から
そっと見守り続けた。

隠れられるよう藪(やぶ)を
重ね、獣が寄らぬよう見張り、
帰り道を指し示すように木の皮を削った。

――鷹丸は、澄音のすぐ近くに
いつもおったのだ。

だが、あの冬の日――
雪がちらつき、寒気が骨に
染みたあの日――
鷹丸は川べりにて

釣りに夢中になっており
澄音が山に迷い込んでいるとは
露ほども気づかなかった。

聞こえてきた
ひとつのか細き声――

「……おかあさん……」

その言葉に、はっと心をつかまれ、鷹丸は釣り竿を放り出し、
音もなく雪を踏みしめ駆け出した。

見つけたときの澄音は、
小さく丸まり、息も浅く
まるで枯葉のように震えておった。

鷹丸は火を起こし、藁をかぶせ、
魚を焼き、白湯をそそぎ
――ただ、目の前の命を守ろうとした。

そして不思議なことに、
澄音は彼を恐れることもなく、
怯えることもなく、ただ
そっとつぶやいた。

「あなた……誰?」

“妖混じり”と呼ばれ
忌むべきものとされし己を
彼女は“猫”として見てくれた。

その夜から、鷹丸の胸には
ひとつの願いが芽生えた。
――この子の記憶から
自分が消えようとも、
いつか、また会いたい。

それは、風に溶けるほど淡く
それでいて胸の芯に根を張る
初めての想いであった

ご視聴ありがとうございました。
音声はGoogle studioのジェミニ音声で
製作しました。イントネーションがちょっと変ですが、そこはスルーしちゃってくださいw

 忘れられた出会い

facebook twitter