茶屋の静けさの中、武三がしみじみと語り出した。
茶屋の静けさの中、武三がしみじみと語り出した。
私は、先代から受け継いだわずかな酒と、酒蔵の職人たちを連れ、新たに酒造りを再開いたしました。
しかし、あの幻の名酒には到底及ばぬものでございました。
それどころか、職人たちも次第に離れ、蔵も見る影もなく衰えていったのです……
なるほどな。それで、あの絵が欲しいってわけか
はい。あの絵には、先代が命を賭けて残した幻の名酒の製造方法が記されております。
絵そのものの価値など、私にはどうでもよいことでございます
ただ、その絵を手に入れることで、再び酒蔵を復活させたい。それが私の最後の望みなのです……
武三の真剣な眼差しに、鷹丸はしばし黙した。
やがて、団子の串を盆に置くと、
ぽつりと言った。
お前さんの気持ちはよく分かった。でもな、どうも妙だぜ――あの絵が教会に飾られているってのがよ
妙、でございますか?
ああ。あんな誰でも入れる場所に偽物を飾るなんてよ、まるで誰かに盗まれるのを待ってるみてぇじゃねぇか
盗ませて……何をしようというのです?
さぁな。誰かをおびき寄せたいのか、それとも偽物を掴ませて“絵の災い”なんてものが
ただの噂だと証明したいのか。
いずれにせよ、鷹丸殿、どうか本物の絵を一刻も早く見つけ出してくださいませ。
それがなければ、私には未来もございません……
分かったよ。お前さんの頼み、引き受けたぜ。ただし、
少しばかり時間をくれ。こいつは簡単な仕事じゃなさそうだからな
そう言い残すと、鷹丸は武三の
礼に一瞥もくれず、茶屋を
後にした。
通りの風に衣が揺れ、去っていく鷹丸の背中を、
武三はじっと見送るのであった。
そのころ、教会では、澄音が
教会のまとめ役である
お清の部屋に
呼び出されていた。
――パシンッ!
乾いた音が部屋に響く。
お清が澄音の頬を打ったのだ。
澄音、昨夜あの小屋に入ったそうですね
申し訳ございません……
小屋の天井が崩れていたのも、あなたの仕業ですか?
いえ、それは私ではございません
では、いったい何をしていたのですか!?
私はただ……祈りを捧げていただけでございます
祈りだと?
あの絵については知っているでしょう。近づくなと何度も申したはずです
はい、ですが……あの絵が災いを招くなどと申されながら、
ただひっそりと寂しげに見えました、祈りを捧げたく思ったのでございます
澄音の声はかすかに震え、
俯(うつむ)くその姿は幼子の
ようにも見えた。
お清は腕を組み、鋭い目つきで
澄音を見据えた。
では、天井が崩れたのはなぜですか?誰かが何か仕出かしたのではないですか?
それは……私にはわかりません
澄音は胸の内で葛藤していた。
昨夜、小屋に忍び込んでいた
オス猫――赤い瞳を持つ鷹丸の
存在を、澄音は密かに
隠していたのだ。
なぜ自分は彼のことを隠そうとするのか、明確な答えは
見つからなかった。
ただ、彼のまっすぐな瞳を
思い出すたびに、どうしても
鷹丸を悪人だとは思えなかったのである。
だが、嘘を口にするたびに胸が
痛む。
澄音の沈黙がさらなる疑念を生み、教会を不安定にしていることを理解しつつも
鷹丸を庇いたいという気持ちを
捨てきれなかった。
澄音、お前は三日間の謹慎です。地下の部屋から一歩も出てはなりません
……承知しました
しばらくして――。
一匹のシスターが教会裏の庭に
出て、花を摘んでいた。
その手は穏やかに見えたが、
目つきは鋭さを失わなず
教会の柵に近づき、辺りを伺いながら、
誰かに囁くように語りかける。
絵はまだ無事です。ー昨夜ネズミが入ったようですが、盗まれるには至りませんでした
承知した。引き続き見張りを怠るな
やがてその影は一瞬のうちに
闇へと溶け込んで消えていった。
シスターはゆっくり歩き出した。
教会の裏にある使われていない
井戸の蓋をあけ
持っていた花をバラまく
……罪深き者、もうすぐ終わりますよ
風が吹き抜け、庭に摘まれた
花の香りがわずかに広がった。